2018/06

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才能について考えてみた。

実は才能というものを重要視している。
才能がなければ何もできないぐらい思っている。
飯を食うのも才能。
睡眠をとるのも才能。
嫉妬をするのも才能。
暴力を振るうのも才能。
いずれ死を迎えるのも全て才能だ。
何も才能は好ましいだけの言葉ではない。
そして、発揮すればいいってもんでもない。
負の才能か正の才能かを決めるのは価値観でしかない。
今日考えたのは一般的な正の才能について。

才能は努力や苦労、年月によって生まれる事は一切無い。
生れ落ちたときからあるもの。
それが全てだ。
努力の末、才能が開花するということはあるだろう。
それを才能を誕生させたと感じる人もいるかもしれないが、
そこは表現の違いだからどちらでも良いと思う。

ただ単に努力することによって生まれるものは
努力したという過程だけだ。
「これだけ頑張ってるんだから評価があってもいい」
なんて、甘えも甚だしい。
自分の苦労に対する価値観を強制的に押しつけた挙句、
さらに金や名誉に結びつけようなど恥知らずもいいところだ。

努力している姿がとても美しく見える事がある。
それは、その姿こそが才能だからだ。
そう見える人は「ひたむきな姿を美しく見せる才能」を持ち合わせているのだ。
実際、俺はひたむきな人間は大好きだ。
それはその人の才能を愛しているからだ。
決して努力を愛しているわけではない。
努力は才能を補助するために存在している。
事実、才能があると認められている人ほど努力を怠らない。
だから、才ある人間は努力をひけらかしたり悲観したりしない。
そして才を誇ることもない。
何故なら才能は生まれた時から持ち合わせているからだ。
そんなものを鼻に掛けたりしないのは、ごくごく自然な話だ。

何が言いたいか。
「やればできる」
この言葉が俺は大嫌いなんだ。
なんだそれ?
「できる」
でいいじゃん。
「やれば」
の一言で物事を有耶無耶にして現実を認識しようとしない。
そのひん曲がった欲望がクダラナイ争いを起こしている。

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